この終わりなき片付けとの格闘記。

ニチアサ感想や日々思ったことを綴っていきます。

辛いときに思い出す3つのことば

 生きていると辛いことってあるものです。それは当たり前なのですが、私は今、日本で起きた、いや現在も進行中のとある事件に心を傷つけられ、正直に言って受け入れられずにいます。

 

7月18日に発生した事件について - 新着情報 | 京都アニメーションホームページ

 

 

現実は虚構のように美しくないと割り切ってきたつもりだったので、現実に起きた出来事にここまで動揺していることに自分で驚いていますしどうしたらよいのか分かりません。このショックは東日本大震災以来かも。身内が亡くなった時より喪失感が大きいです。

 

エンターテインメントが好きです。究極的には生活に不要なものであるはずのそれらが毎日大量に生み出され、消費される今の日本に生まれたことに感謝しているし、生きる希望になっています。それらを生み出す人々を心の底から尊敬しているし、願わくばいつかは自分も生み出す側の仕事や、そういった人々を支える仕事がしたいと思っています。

 

思うところはいくらでもあるのですが…消費する側である私が立ち止まっていては私の周りの人たちは勿論、私を育ててくれたアニメやゲームや漫画や特撮、その登場人物たちに、そして魅力的な物語を描き出してくれた人たちに申し訳が立ちません。未だに日本中が、世界中が悲しみに包まれていますが、みんな必死に前を向こうとしています。辛いときこそ—私はエンターテインメントから力を貰ってきたはずなのです。

 

お見苦しい文章が続くことをお詫びいたします。

 

以下には、私が辛いときに励まされてきた虚構の人物たちの言葉を紹介します。それらは生きた言葉であり、各々の辛さを乗り越えてきた彼らが生きた証であります。現実を生きる私たちとはいささか事情が違うとはいえ、綺麗事ではない重みがそこにはあります。

 

 「たとえ綺麗じゃない方法だとしても解決したいのなら間違えればいい」—鹿目詢子

 『魔法少女まどか☆マギカ』第6話より、主人公・まどかのお母さんのことば。

 この後に、「若いうちはケガの治りも早い。大人になると、どんどん間違えるのが難しくなる」と続きます。

真実なのでしょう。実際、この国で「間違えた大人」に向けられる視線は冷たいものです。みんなそれを分かっているから間違えないように頑張るし、時として間違いを見過ごしたり、隠したりすることもあります。

だからこそこの言葉は、まだ中学二年生という若い娘に向けて贈られた言葉でした。

大人だって間違える。当然だと思います。本当は、大人の間違いにも寛容な世の中であってほしい。間違えることは、正しいことではないけれど—本当に他にどうしようもない時に、思い出したい言葉です。

 

「自分で自分をおしまいにしない限り、本当に遅いことなんてない」—水無灯里

 漫画『ARIA』(作:天野こずえ、刊:マッグカーデン)第57話より、主人公・水無灯里が一歩踏み出せずにいる仲間に贈った言葉。

「物事を始めるのに遅すぎることはない」というアレです。

何事にも限度はあると思いますが、考えてみれば大概のことはいつでも始められるような気がします。幸運なことにそういう世の中ではあります。

この言葉をやや強引に解釈するなら、「何かをやめる」ことにも遅すぎることはない、と言うこともできると思います。惰性で続けてしまっていることってあると思います。私にもあります。早くやめなきゃ。毎日そう思っています。焦り。しかしちょっと立ち止まってみるのも悪くないです。

変われないということは、どこか本能的な部分で現状に満足してしまっているということだと思います。自分は、今の自分のどこが好きで、どこが好きじゃないのか。理想の自分と今の自分とで乖離しているところは何か。何を続けるべきで、何をやめるべきなのか。何かを手放すことは痛みを伴いますが…自分とは上手く付き合っていきたいですね。

  

「生きててくれるだけで十分だ」—桐生戦兎

仮面ライダービルド』第49話(最終話)より、主人公・桐生戦兎が相棒に贈った言葉。

正確には、私が感銘を受けたのは、放送後に更新された東映の番組ホームページにある言葉です。以下、引用します。

世の中は時に私たちを、正しくない、美しくない、生きづらいと感じさせ、絶望させます。
そんな時、戦兎のように、想像も既知の法則も超える方法で世界を変えることは、
たとえ百年に一人の天才の力をもってしても、とても困難なことでしょう。
また、誰かがそうしてくれることに期待するのも、戦兎たちが見せた生き方に反するでしょう。
 
そんな時、戦兎が言う通り、まずは生きているだけで十分なんだと思います。
生き続けているということだけで、日々の小さな戦いに、少なくとも負けてはいない。
そのことが、人間に力を蓄えさせ、自信をもたらすのかなと思います。

www.toei.co.jp

 

「辛いと感じる」ことは、「生きている」ことの何よりの証明です。複雑すぎる世の中、生きることに対する考えも十人十色。ただ個人的には、今日を生きている私や、この記事を読んでくれているあなたはそれだけで100点満点です。これを120点にするか500点にするかが各人にかかっているだけです。

 今日も変われなかった。失敗した。何もできなかった—。一日を振り返る時は、終わりに「でも生きた。」をつけ加えてみてください。もれなく私が100点を加点します。私じゃ不満なのであれば、あなたの好きな作品たちにお願いしてください。物によりますが、生きることを否定するエンタメは探しても稀です。どうしても肯定されない時は平成仮面ライダーシリーズを何かしら見てください。ハマります。保証しますよ。

 

 

 おわりに

ここまで2000字の文章を書いて、私自身、心が軽くなったのを感じます。やはり悲しみをアウトプットするのって大事なのかもしれません。気の置けない誰かに聞いてもらうとか。こうしてブログやSNSに書くとか。インターネットはツールなので正しく使えるようになりたいですね。

 

とりあえず生きる。